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日本の縮図「学校」と狂気の「社会」

日本人はイジメ加害者に甘い国という事で有名だ。

イジメという行為は国や人種、果ては生物に限定されずあらゆる環境下で行われる行為。特別日本人が陰湿でイジメが好きな民族だと主張するつもりはない。アメリカでも韓国でもジンバブエでもフランスでもコンゴでもでもどこでもイジメは起きる。

確かにイジメはどこでも起こる。だが対策や予防策を講じる事は可能なはずだ。

例えばアメリカの学校では教師が全てのイジメを把握し、対処するのは難しいとし、ほぼ全ての学校に専門のカウンセラーが常駐している。日本では「イジメられる方が悪い」という風潮が強いものの、アメリカでは「イジメを行う方に精神的な問題がある」という風潮があり、イジメ加害者に対して精神鑑定を行います。

イジメという行為を「個人の問題」ではなく「社会の問題」として考えているのがアメリカだ。勿論私はポカホンタス的思想を持っている訳ではない。アメリカにも日本以上の格差社会・学歴至上主義国家であるなどの欠点はあるが、それでもイジメ対応については日本より上手であると言わざるを得ない。

ノルウェー発のイジメ対策プログラム「オルヴェウス・いじめ防止プログラム」

他にもノルウェー発のイジメ対策プログラム「オルヴェウス・いじめ防止プログラム」は

学校全体で施行される内容

  • 「いじめ防止協議委員会」を設置する
  • アンケートを実施する
  • スタッフミーティングを定期開催する
  • いじめに関するルールとペナルティを導入する
  • 生徒の見守りを行う
  • 保護者を巻き込む

クラスで施行される内容

  • いじめに関するルールを守らせる
  • クラスミーティングを定期開催する
  • 保護者ミーティングを定期開催する

個人向けの施行内容

  • いじめが起きたときに全てのスタッフが即座に介入する
  • いじめに関わりのある生徒と話し合う
  • いじめに関わりのある生徒の保護者と話し合う

地域に向けた施行内容

  • 地域住民の参加、協力関係の構築
  • 地域に活動を広げる

また、この4つのプログラムに関して4つのルールがある。上記実施内容の中で、『いじめに関するルール』として、プログラム中で繰り返し説明されているもので、これは生徒達が守るものだ。

  1. 私たちは、他の人をいじめません。
  2. 私たちは、いじめられている人を助けます。
  3. 私たちは、一人ぼっちの人を仲間に入れます。
  4. 私たちは、もし誰かがいじめられていれば、それを学校の大人や家の大人に話します。

日本では傍観者効果で他人を助けな人間が多い。何故かと言えば社会全体でイジメられてる人を助けるという空気がないからだ。誰もやらないから私もやらない。主体性もない空虚な奴隷が大量生産される工場、それが日本の学校だ。

例えば私はネットイジメ反対・動物虐待反対を訴える活動をしているが、世の人間は誰もやらない。イジメや虐待が許せないと心では思っていても実行には移さない。

誰もやらないなら私がやる。そう活動しても世の人間は聞きもしなければ、私を異常者扱いする。「イジメや虐待が悪い事」これのどこが間違っているのか。これは言論に対してではなく、異端者(異物)への拒否反応に過ぎないと考えている。黒い羊効果だ。

黒い羊効果は白い羊の中に黒い羊が居た場合、黒い羊がイジメられる状況、転じて異端者に対して集団でイジメなどの手段を用いて排除する事を指す。私は黒い羊な訳だ。白い羊(多数派)が正しいとは限らない。白い羊とは思考・判断する能力を捨て去り、何も考えず多数派に付いていく「無脳」の集まりだ。無能ではなく「無脳」である。

日本は新卒制度が取られている為、モラトリアム期間がある人はそう多くないのだが、ここでは「大学生」をモラトリアム期間として見よう。

勤勉な大学生もいるが、半数以上は「就職の為」に取り合えず大学に行き、なんとなく卒業して適当な会社に入社し、こき使われる。大体こんな感じで一生を終える。

一つ言っておくと、これが悪だと断定する訳ではない。ただ大学で何を学びたいか、今後のビジョンに向いた学部を選ぼうといった前向きな動機で大学に行く学生はそう多くないのだ。ボランティアやらサークルやらに手を出すのも大抵就活の自己PRのネタにやるだけ。社会の為に活動するなど頭の片隅にもないのだろうな。

酷い場合には親の金でFラン大学に行き、ロクに勉強もせずに女とパコり遊びまくりの生活を送るクズもいる。こんな奴が大学に行けてイジメ被害に遭って精神病になった学生はそのまま人生ドロップアウトするという構図の理不尽さに憤慨ものだ。

学校は社会の縮図、よって社会も本質的には学校と同じ

社会に出ると分かる事が2つある。

一つは自分が思っていた以上に経験がなく頭が悪く、未熟だということ。

もう一つは自分が思っていた以上に社会には頭が悪く、クズで、非常識な人間が多いという事だ。

学校も社会も本質的には一緒なのだ。イジメ・パワハラは大好きだし、他人を貶めて自分の出世台に利用するクズもいる。街にゴミをポイ捨てしたり他人に絡んだり・・・人間という生物である以上変わらないのだろうな。

そもそも「大人」というのは「大きくなった子供」に過ぎない。知識があっても人間性が成長してないクズもいるし、知識も人間性もない幼児みたいな人間も当然いる。

学校という閉鎖的環境から、職場という閉鎖的環境に身を移した違いしかない。イジメや陰口も当然多い。感情の抑制が出来ない奴も中にはいる。新人時代に嫌な思いをさせられてた社員が、数年後には新卒に対して同じような事をしたり、働いていても人間性が磨かれる保証はないのだなと。

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学校や職場とはイジメや差別だらけのディストピアである

浜松市 女子中学生 いじめ事件

静岡県浜松市の女子中学生がイジメを苦に自殺した。ニュースによると、SNSで知り合った男性と心中を図ろうとしたらしい。

思春期という時期にイジメに遭った場合、今後の人生で多大なるハンデを負う事になってしまう事を意味している。中学生がイジメという不当な集団リンチに屈して命を絶つという社会の不条理そのもの。死ぬべきなのはイジメを行った人間である。

詳しくはこちら。

https://news.yahoo.co.jp/articles/60e858a079a5e0e422d19801da9615c5e65bb780

学校教育の歪みが社会の歪みを生み出す

日本の教育は多様性を認めず、没個性的な人間を生み出す事を目的としている。そして、その教育は生徒達にも伝染していき、異端者や優秀な人間は排除されるようになる。

イジメを「和を乱す人間への粛清」と称して、自分達にとって都合の悪い人間や異端者を排除する建前に使っている。それが行きすぎると中世ヨーロッパの魔女狩りのように「疑わしきは罰せ」という思想の元、異端者を炙り出してターゲットにするようになる。それに怯えて状況はエスカレートしていくのだ。

教師はイジメを行使する人間を止める必要があるのだが、酷い事に教師自体がイジメに加担していたり、教師同士でもイジメがあったりする。教師とは大きな子供であり、精神的に未熟な幼児が「教師」という権力を得て他の子供に対する指揮権を得たのと同義である。これが生み出す答えは「環境のディストピア化」だ。

歪んだ教育現場が思考停止し、権威バイアスに侵され、異端者を排除することが正義だと信じ込む盲目社畜を生み出しているのだ。新自由主義的「自助」をモットーとし、イジメ被害者に「イジメられる方が悪い」と刷り込ませ、自殺を誘致する。学校に共助や公助はない。他の生徒も教師も見て見ぬフリだ。傍観者効果はイジメや差別といった全く正当性もなければ道徳的にも倫理的にも許されてはならない蛮行を助長させている。

社会は学校の”ソレ”がより酷くなった環境に身を置くこととなる。上司からの理不尽な指示や叱責にも黙って頭を下げなくてはならない。相手が間違っていてもそれに反論をすればリストラされる。

愛想笑い、社交辞令という嘘で塗り固められた人間関係に固執し続け、家族や友人、己の身すら滅ぼしていくのだ。それでもなお自分は「社会(会社)に貢献している」と言い聞かせ、社会の歯車として錆びるまで働き続ける。それを資本家などの上級国民は嘲笑う。

教育機関で歪んだ感性を植え付けられた人間が社会でそれを蔓延させ、パンデミックを引き起こす。さらにそこから子供を作れば、その子供にも歪んだ感性を伝授し、子供も親と同じ道を歩むという永久機関の完成で社会は成り立っているのだ。

イジメの影響

さて、話を戻すがイジメ被害者は今後の人生においてイジメの経験が足枷となるのは容易に想像できるだろう。

よく知ったような口を利く奴らは「イジメなんて耐えれば終わり」と言うが、むしろイジメが終わった後こそ本領発揮というべきだ。イジメ被害者とその他は社会に出れば等しく「社会人」というカテゴリーに分類される。そこに「イジメ」だの「虐待」だのといった補正は無視される。

まずイジメ被害者は対人恐怖症に苛まれていることが非常に多い。人前で話す事が苦手になったり笑えなくなったり冗談に対して過剰に恐怖心や不快感を持ったりなど。日本に限らず欧米諸国やヨーロッパ、中東、どこであろうと生きる上で支障が出るのは間違いない。

ビジネスの場であれば取引先の相手と話すとき、饒舌さや相手に不快感を与えないような態度が大切になってくるが、作り笑顔も出来ず、能面のような面をしているような人間が機械的にボソボソ喋っていたとして社会的には評価されない。少なくとも第一印象が良いとはお世辞にも言えないだろう。他にも面接でも不利になり職場の人間関係においても苦労することになる。

また性格の歪みや現実逃避として何かに依存する事も社会生活を営む上で障害となる事が多い。ギャンブル依存・ネット依存・ゲーム依存など社会性の欠如を生み出す。イジメと無縁の人間は依存中毒患者を非難するだろうが、元々何かに依存していた訳ではなく、逃げ場のない苦痛やストレスから逃れる為の手段として何かに依存しているのだ。依存問題について問題を述べるのならまだしも、その人の人生や存在を否定するのは余りにも短絡的と言える。芸能人が違法ドラッグ中毒者になるニュースが多いのも、芸能界でのストレス・闇を感じさせる。

イジメが影響で精神疾患やストレスによる病気を患ったとしても加害者に罪は問われないし、被害者の自己責任で片づけられる。PTSDなどの心理的病も甘えだと浴びせられる。悲劇のヒロインアピールを正当化させるつもりもないが、感情論や根性論のみを吹っかけて本質を見ない社会の体制もどうなのかと問いたい。

逃げる事自体は悪くない行為

一般的に不登校や無職は悪い目で見られがちだが、逃げる事自体には問題はない。その後のリカバリーが出来るかどうかを問題視すべきなのだ。

例えば不登校の場合、学力が落ちてしまうのは確かだが、家庭学習であったりホームスクーリングなどを活用すれば問題ない。高卒認定を取得して大学に入学することも可能。今なら通信大学で学費を安く抑え、なおかつスクーリング一切なしという環境で大卒資格を取る事も出来る。勿論普通に学校に通い普通に授業を聞いた人間と比較すれば苦労はする。しかしイジメに耐え続けて成績が低下し続け、メンタルも病み、ネットに逃げたりするよりはマシだ。自殺したら元も子もない。

仮に社会に出たとしてもそのような状態の人間が社会で働いていくのは厳しい。対人スキルやコミュニケーション力などが壊滅的であり、さらにはメンタルが狂っている人間が活躍出来る会社は少ない。心に傷を負った人間にはまず治癒時間が必要であり、その為の「逃げる時間」を「甘え」と無下にしてはならない。

無職であっても最終的に生活資金を稼げれば問題がない訳だ。金を稼ぐ手段は労働でなくても良い。フリーランスや投資家として金を稼ぐ手段がなければ働けばいい。親が死んでから働いても苦労はすれど遅くはない。尤もその時に就職するとしても高待遇な企業を期待するのはまた筋違いなのだが。何もなくても生活保護に頼ったり刑務所というセーフティーネットに転がりこんだり、ホームレスになるなど生きる道はいくらでもある。それが文化的な生活でない事、人としての尊厳を捨てるもの、高収入ではないものなどの制約は付いてくるが。

本質は「生きる事」だ。世間体や学歴・職歴はボロボロでも人間は生きていなけば意味がないのだ。金があっても死ねば意味がないし高学歴高収入でも通り魔に殺されたらそれで終わりだ。死んだ者が敗者であり生きている者が勝者である。東大卒で電通に入社した高橋まつりや人気俳優の三浦春馬は社会では「勝ち組」と称されるヒエラルキーの高い人間だが、両者とも自殺という愚行に及んでしまった。故に彼らよりも不登校や無職の方が上の存在であると言えるのだ。

逃げる事を知らない人間は安易に死を選ぶ。一方時には逃げる必要性があることを知っている人間は安易に死を選ばない。成功経験のみの人間ほど脆いのかもしれない。

最後に

この記事は反社会的思想の助長・肯定を目的としたものではない。学校教育においても正しい部分というものも存在していると思う。

ただ、閉鎖的空間を生み出して、生徒同士でのバトルコロシアムを煽動し、イジメや騙しあいでお互い疑心暗鬼に囚われながら洗脳されていくような環境に身を置く事は心身共に有害であると主張したい。

イジメという言葉で「殺人」「誹謗中傷」「名誉毀損」「器物破損」「傷害罪」「暴行罪」等の犯罪を合法化しているのはおかしい話だ。イジメで苦しめて自殺に追い込んだ場合、それはイジメに関わった当事者達に罪を問うべきなのだ。

どちらにしろ、今後も学校教育や社会の雰囲気が変わらぬまま、陰湿な同調圧力に共感を得ている人間が存在し続けているのならば、この国に未来はないであろう。