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日記

自称無宗教の日本人と宗教染みた気持ち悪い社会

無宗教を自称する日本人は非常に多いですね。

しかし実際のところ本当に無宗教なのでしょうか?

私達の考える宗教はキリスト教やイスラム教などでしょう。日本ではこれらは盛んではないので、無宗教だと勘違いしてしまう方も多いです。

日本人は仏教や儒教の教えが社会全体で根付いておりますので、実際のところ無宗教ではありません。

日本は仏教と儒教の教えが広まっている

仏教

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例えば人が死んだら葬式をしたり墓を立てたりしますが、別に法的に問題がなければ墓や葬式は不要です。死体遺棄に問われないのならば地面に埋めたところで何ら問題はないのです。

人が死んだからと言って葬式をする必要がなければ、金を掛けて坊主を呼び、長いお経を聞く必要もありません。墓石も必要ないし墓参りもしなくていい。ですが日本人は「常識」という魔法のワードでこれらの行為を恰も大切なことであるかのように主張します。本来は常識ではなく、仏教の教えなのです。ただそれが文化レベルで広がったというだけの話です。

私は人が死んでも墓も立てないし、葬式もしないし、坊主も呼ばないし、墓参りも行きません。罰当たりだという人もいるかもしれませんが、私も同じような扱いを受けても構いません。仏教の教えを信じている人間、即ち仏教徒のみがやれば良い事であって、日本人全体が従うルールではないと考えます。これを人でなし、非常識と非難する人間は豚肉を食べていますか?もし食べているのならばイスラム教の教えに反しています。しかしあなたは罪悪感も感じていない。何故ならイスラム教徒ではないから。私は仏教徒でないので罪悪感を感じない。それだけですよ。

人は死んだら生き返らないし魂も存在しないし仮に存在しても死んでみないと分かりません。葬式開いても金の無駄です。墓参りして食べ物をお供えするのは食料ロスです。アフリカの子供云々言う奴はまずこういう身近な食料ロスに目を向けて欲しいです。墓石や坊主なぞ詐欺師やぼったくりです。

木や石に魂が宿っているとか、地蔵様やお守りに価値を見出したり、神社にお参りしたり、初詣を行うのも仏教の文化です。地蔵はただの石ころでお守りはただのストラップです。これを「神の力が込められている」と言い張って売る奴は詐欺罪に問われても良いと思うのですが・・・まあ置いておきましょう。初詣なんて完全にキリスト教徒やイスラム教徒が礼拝をするのと一緒でしょう?神の存在を信じて神の力に肖ろうとする。これが宗教でなかったら何なのか。

私達の生活には仏教が密接に絡んでいます。国教といっても良いでしょう。かくいう私も知らない間に仏教の教えに従っているかもしれませんね。

儒教

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「仁・義・礼・智・信」からなる「五常」の徳目を守ることで、「五倫」と呼ばれる「父子・君臣・夫婦・長幼・朋友」の関係を維持するよう努めなければならないという内容です。

東アジアにおける倫理観の基本となっている考え方であり、日本だけでなく韓国や中国にも共通しています。

「仁」は、人を愛し、思いやることをいいます。孔子は「五常」のなかでも最高の徳目としていました。

「義」は、利や欲にとらわれず、世のため人のために行動することをいいます。上杉謙信が「義の武将」と呼ばれていることも有名です。

「礼」は、謙遜し、相手に敬意を払って接することをいいます。「仁」を具体的な行動にしたものです。

「智」は、偏らずに幅広い知識や知恵を得て、道理をわきまえることで、善悪を判断することをいいます。

「信」は、人を欺かず、また人からは信頼してもらえるように常に約束を守り、嘘をつかず、誠実であることをいいます。

これらを見ただけでは何も問題がないように見えますね。薄っぺらい綺麗事?ジャップランドではよくあること。

しかし、儒教の特徴として「上下の秩序(上下関係)を重んじる」という考え方があります。

日本の年功序列的な考え方が蔓延っているのも儒教が影響していると思われます。学校では下級生が上級生に理不尽な要求をされ、社会では部下が上司から理不尽な要求をされ、毎日苦しみ続けて自殺する者も大量にいます。

上は下に対して傲慢な態度を取り、さらに上には媚を売る。日本社会でよく見られる現象ですね。孔子は素晴らしい教えを説き、本人は高潔な存在となりましたが、誰しもが孔子のような考え方にはなれなかったのです。

他にも同族を重んじる考え方がある儒教では身内が殺されたら復讐するのが当然とされていました。昔はとある家族3人を標的にする際、うち一人を殺しただけでは復讐されるので、一気に3人まとめて殺していたそうです。不良漫画や少年ジャンプでは仲間がやられたら復讐するという描写が良くありますが、それも儒教の影響なのでしょうね。

また、儒教では親を敬う事を奨励していますが、毒親育ちだったり親から捨てられた子供にとっては賛同できないでしょう。

仏教と儒教の教えがハイブリッドした日本社会のカルト宗教「常識」

常識というのは宗教です。

社会では「8時間労働はホワイト、そんなの常識だろ」とでも言わんばかりに残業まみれのクソ企業だらけですが、おかしいですよね。8時間労働というのは労基を守っている結果であり、法律を守るという至極当然のことをしているだけです。

ヨーロッパや欧米では残業は基本的にない、あっても日本ほど多いものではありません。残業が当たり前になっているのが常識となっているのが異常なのであり、この惨状を普通の事だと考えている日本人はマインドコントロールされたロボット状態であり、ある種のカルト宗教にはまっていると言えます。

学校では部活動をやるのが常識とされ、上下関係を守るのも常識、基地外みたいな先輩も年上なので敬うのが常識、ヒステリック女教師も年上なので敬うのが常識。これが異常だと感じるのは異常らしいですよ。

日本人は常識という名の宗教に従って生きており、常識の教えに反した異端者は、異宗教者として扱われ迫害されます。

いずれは中世ヨーロッパのように魔女狩りが社会不適合者という常識に加われなかった異宗教者やカトリック(常識、保守派、右翼)に敵対するプロテスタント(リベラル、左翼)に対して行われるようになるでしょう。

それに対抗する為にも、常識という教えに全てを委ねず自分の頭で物事を考えていきましょう。

おまけ 本物のカルト宗教

創価学会、統一教会、幸福の科学、エホバの証人、顕正会といったカルト宗教も日本には沢山あります。

ただカルトに縋る人間がいるのも、常識という名の宗教の圧力に耐えられなかったということでしょう。

何かに頼らないと生きていけない弱者の受け皿となっているのがカルト宗教なのかもしれません。

私は絶対に入信しませんが。

関連リンク

https://www.nippon.com/ja/column/g00072/

https://plaza.rakuten.co.jp/syokujikyouiku/diary/201011230010/

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作成者: F9

ブログは時々更新しています。

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